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【ネタバレあり・感想】『バトルオブザセクシーズ』今一番熱くなれる映画!!!

今回見てきたのは、



『バトルオブザセクシーズ』



です!!!!!!!!!!!




<感想>ありのままを生きられない人々へ送る、戦いを挑む勇気。ただの敵味方ではない二人の試合シーンは、息を飲む胸熱ものでした!!!

時は女性差別の時代。テニス女王のビリー夫人は、女子テニス界で無双状態です。しかし、大会での優勝賞金は男子選手の8分の1という有様。これに怒ったビリーは盟友とともに協会の大会とは別に女性選手だけのトーナメントを作る、という行動に出ます。この行動が話題になり、一躍ビリーは注目のまとに。


一方、元グランドスラマー(こんな言葉があるのだろうか?)であるボビーは、現役こそ引退したものの、富豪を相手にテニスをして、ハンデ付き(犬に繋がれた状態でテニスをするとか馬鹿なこと)で買ったら車や金をもらえるという博打に打ち込んでいました。というかそれだけテニスが強いと。


ボビーはギャンブル依存症です。楽しい博打がとにかく好きでやめられない。そこで目をつけたのがビリーの女子テニストーナメント。男性至上主義者であるボビーは、女子選手に戦いを挑み、イキってる女性を痛い目に合わせる行動に出ます。これも彼にとってはまた、秘湯の博打でした。。。


というのが、主なあらすじです。


意を決したビリーとボビーの最終決戦は本当に目をみはるほどの迫力と圧力を見せられました。こんな経験はなかなかない。


これだけ見ると、女性差別反対映画なのか、と思われるかもしれませんが、そう一筋縄でいかないのがフォックスサーチライト!!まだまだ見所はたくさんありました。



差別主義者を倒す痛快さ!

確かに、この映画、女性差別に対する痛烈な批判もありました。特に協会側の人間や、ボビーの言動、ボビーの取り巻きたちのやることは目を覆い時に爆笑してしまうほど、腹の立つものばかりでした。差別をどう乗り越えるのか、差別に対して人はどこまで強くなれるのか、そんなところも今作の大きな見所です!そして見事にそれを描き切ったと思えます。


これまでもフォックスサーチライトという映画会社は人種差別性差別を批判する口調の映画を作ってきました。その真骨頂が昨年の『シェイプオブウォーター』であり、この作品は結果としてアカデミー賞作品賞を取りました。今作もその系譜を組んでいるだろうことは想像がつきます。


ボビーの発言やその態度はトランプのそれを明らかに意識しているものだったと感じます。


とりあえず容姿を似せてきてるかなと。大柄で横分けの白人男性。口を開いたかと思うと、ズケズケと普通は怖くて言えないことをはっきりという態度。曰く、「女は寝室と台所にだけいればいいんだ」とかなんとか。くそです。


周りには胸元の強調されたセクシーズないい女をはべらせて、富豪らしくプールで豪遊。そして自身の言動を批判する者には、痛烈な皮肉とともにその批判を嘲笑い飛ばす。権力者やマスメディアを、巧妙な手口で味方につける。これぜ〜んぶトランプに当てはまる。


あと本当の意味で劣悪なのは、協会側の人間でしょう。女子の賞金を8分の1という卑劣な割合にしておきながら、それに反対したら協会から追放、それも自分の権力をチラつかせて上から物を言ってくる。心底女性を馬鹿にしているんですね。


そんでもって女子が躍起になって活動しているのも余裕綽々な表情で高みの見物。その分後のしっぺ返しが超痛快なんですけど。


そのボビーらのいやらしい言動に、よの男性と女性が真っ向から対立します。いや、正確には、男性至上主義者(とその予備軍?)と、女性の権利も認めようとする人々、ですかね。男性の中でも、女性を応援する人は何人かいました。そんな人たちが今作では重要になってくるのですが。これもまた後ほど。


女性差別を劣悪に描いて、徹底的に批判する。弱い立場の人間だって、ここまで強くなれるんだと。差別するものの卑しさに、差別されたものの怒りが炸裂する。その姿には間違いなく勇気をもらえます。これがこの時代にこの映画の作られた一つの理由なんでしょう。


そんな中迎える最後の試合シーンのもつ緊張感は只者ではありませんでした。差別に対する反抗、という面でこの試合シーンをみてみると、女性の権利を主張するビリーはさながらヒーロー、男性至上主義者のボビーは悪役、となります。


だからこそ一進一退の試合展開は手に汗握るもので、ビリーの快進撃は思わずみているこちらも感情的になるほどに痛快です。そして最後勝利を収めた時の感動はただなりません。


さてここまでは、差別を乗り越える人々の物語としてみてみました。差別され苦しい思いをしてきた人たちが、最後にそれを乗り越え、差別してきた人たちを倒し、勝利をえる。あるいは応援者を見つける。希望を見出す。


その痛快さ、力強さを強烈に感じさせる作品でした。


しかし、この作品で取り上げられている要素は、この女性差別だけではありませんでした。ビリーは同性愛者で、ボビーはギャンブル依存症でした。この要素は両者をただのヒーローとヴィランにとどめませんでした。この映画には、差別/被差別以外に、もう一つのベクトルがあるように見えます。


ありのまま生きたい自分と、そうできない自分というベクトルです。これからはその話を。



ありのまま生きられない人へ

女性差別、という要素に加えて、主人公や登場する洋服のデザイナーがバイセクシャルだという点も差別について言えるところです。今なんかよりもっと同性愛が認められなかった時代。同性愛を告白し認めてもらうことは相当難しいことです。


実際に同性愛者である登場人物は、結局告白という告白をしませんでした。秘められたままに、ごく少数の周りの人の理解を得る、という結末を迎えます。それだけその当時(もしかしたら今も)同性愛を認めてもらうことは難しかった(あるいは現在も難しい)ということでしょう。


この同性愛については、ボビーほど痛烈に批判してくる輩は出てきません。でもその代わり、社会的な目、という壁が存在します。それは彼女たち同性愛者の内側にあるもので、自分でこしらえてしまったものなんです。それをどう克服していくか。ここがもう一つ重要なところだな、と。


ビリーは、同性愛という秘密をいわばひた隠しにしようとしました。だってバレたら大問題だから。しかも彼女には夫がいました。つまり美容師マリリンとの同性愛関係は、社会的に受け入れられないことであると同時に、不倫でもあり、二重の意味で問題だったんです。


でも彼女はマリリンが好きで、そんな恋愛関係を続けたい。「ありのまま」生きていこうとするならマリリンと恋仲になりたいところですが、世間はそれを許してくれない。


てこれ冷静に考えたら結構重たいけど。『昼顔』で上戸彩の不倫相手が斎藤工じゃなくて吉瀬美智子だったら…と考えてもみてください。色々やばいっす。やばいっす。



あるいは、ビリーが一度はボビーとの対決を無視したこと。これも「ありのまま」でいられないことの葛藤だったと思います。


彼女がボビーとの対決を断ったのは、見世物になりたくなかったから。でも、彼女は女子テニスの権威を確立するために協会を脱退したわけです。見世物からは逃れられないはずです。どうしたって世間からは「男性に反旗を翻した変わり者女」という目はむけられる運命だったはずなのに。


彼女にとって「ありのまま」生きるというのは、一人のテニス選手として差別されずにプレーし、同性愛者として恋愛することでした。しかし、そう簡単にはできない。それはどちらに関しても、世間の目があるから。だからこそ彼女は葛藤します。


束縛から逃れたい、自由を勝ち取りたい。でもその束縛と真っ向から対峙するのは嫌だ。それでは何も得られません。


そんな彼女の背中を押してくれたのは、その「ありのまま」を受け入れてくれる人たちでした。それが”友人”マリリンや、同性愛であることを受け入れて彼女を応援してくれる旦那や、同じく同性愛者であるデザイナー・テッドでした。


同性愛者としてマリリンと付き合いたいなら、旦那と話をするべきだし、女子プレイヤーとして確立してテニス人生を歩みたいなら、世間の好奇の目から逃げることはできない。束縛から逃れたいなら、「ありのまま」の自分として生きたいなら、そうできない要因と決着をつけなければいけない。


そしてその決着へと背中を押すのが、彼女のめざすありのままを受け入れる人々。この構図がしびれました。



そしてそのことは実はボビーも一緒なんですね。


彼はギャンブル依存症です。しかし、妻は最初それを受け入れてくれません。だから離婚してしまう。


でも妻は、彼のそういうところが好きだった。ボビーにとって、ありのままを受け入れてくれる存在は、妻であるプリシラでした。


ボビーの戦い方は、まさに彼のありのままです。敵を馬鹿にして、派手に立ち振る舞い、かけに勝つと大騒ぎする。そうやって、彼は世紀のギャンブルを楽しんでいたわけです。


女性の人権を踏みにじることに、彼の人生をベットしていたわけです。だからこそ彼は強かった。


この点がすごくうまいと感じました。ただのヴィランにしないで、依存症という弱みを見せておく。直したいけど直せなくて、その結果最愛の妻を失ってしまう。


彼も彼で、ありのままの自分でいることの苦痛を感じていて、そのせいで大切なものを失ってしまった、葛藤を抱えているように見えました。


まあでも最後にはその奥さんが帰ってきて、ボビーを応援してくれるんですけどね。彼もまた、ありのままの自分を受け入れてくれる人を見つけられて、これから背中を押されたんでしょう。


こうしてみると、ありのままでいたい自分vsそうできない自分という構図は、ビリーもボビーも一緒なんですね。ただその戦い方が全く正反対。だからこそ最後の試合が面白いわけです。



そうしてみてみると、最後の試合の見方が違って見えませんか?ありのままを貫きたい同士の戦い。ボビーだって、ただの悪役には見えません。


そして、そうしてみると、本当の意味での「バトルオブザセクシーズ」の勝敗がさらに明確になるわけです。


先ほども言った通り、ボビーの戦い方はギャンブルです。派手にかまして相手を同様させ、こちらが優位にたつ。その様子に世論を味方につける。彼はスポンサーの金色のベールを纏って登場しますが、これが彼の戦い方の象徴のようです。


一方ビリーはシンプルに真っ向からテニスをする。自分を、あるいは女性をテニス選手として確立させたいからです。


序盤こそいつものボビーの戦い方ですが、ビリーのまっとうさに押されて、最後にはやばいと思ったのか、ボビーは自分からベールを脱ぎます。ボビーがベールを脱いだのは、彼の戦い方の放棄のように見えました。ビリーの真剣さに、ボビーはついに折れてしまったのです。飲まれてしまったのです。


結果はもちろん彼の負けですが、それ以上に、ビリーの戦い方にボビーが負けたかのように思えました。そうした意味でも、この試合はイリーの完全勝利と言えるのではないでしょうか。




最後に:今一番熱くなれる映画です!

人権問題だけにとどまらず、ありのままで生きていきたい自分との葛藤というベクトルを見せることで、女性だけでなく男性にも、差別されている人だけでなく全ての人に届く映画になったのではないでしょうか。


ありのままいきていくことの挑戦の尊さ、それに求められる強さと、ありのままを受け入れてくれる人の存在の重要さを見せてくれた映画になったのではないかと思います。


最後になりますが、ほんっとうに熱い!手に汗握る強烈な映画だったと思います。年間ランキングにも食い込む可能性はかなりあります。おすすめです。二回目もいきたいです。


最近なんか面白いのない?って聞かれたら当分はこれをオススメしようと思います。来週からはジュラシックワールドが始まるけど、そういうのが苦手な人には来週以降も進めようと思います。はい。熱いです!!笑


久しぶりに記事を書いて眠いのでここらへんにしときますが、やはりフォックスサーチライトにハズレなしと痛感いたしました次第でございます。


劇場がなあ少ないんだけどなあ。。。東京なら日比谷ですかね、ていうかそこしかないのか。シャンテの劇場は座席が狭いからなあ。。。。。。とか言わないで、興味持ったら是非みてみてくださいね!



最後まで読んでくださって、ありがとうございました!!!!!