『ウィンドリバー』人間はどこまで「強く」なれるのか。

今日見てきたのは、



『ウィンドリバー』



です!!!!






<作品情報>

イントロダクション

『ボーダーライン』のテイラー・シェリダンがメガホンを執った

圧倒的な緊迫感と衝撃がみなぎるクライム・サスペンス

 荒涼としたメキシコ国境地帯におけるアメリカの麻薬戦争の知られざる実態に迫った『ボーダーライン』(15)。銀行強盗を繰り返す兄弟とそれを追うテキサス・レンジャーの攻防を通して、アメリカンドリームの衰退をあぶり出した『最後の追跡』(16)。共に批評家筋の絶賛を博し、それぞれ第88回アカデミー賞®で3部門、第89回アカデミー賞®で4部門にノミネートされたこの2本の骨太な快作は、物語の舞台となった場所も監督&キャストもまったく異なるが、同じシナリオライターが手がけたオリジナル脚本に基づいており、一貫した奥深いテーマが息づいている。その脚本家の名前はテイラー・シェリダン。ハリウッドで今最も注目を集めるクリエイターのひとりと言っても過言ではない新進気鋭の才能が自らメガホンを執り、圧倒的な緊迫感がみなぎるクライム・サスペンスを完成させた。それが“Rotten tomatoes”で満足度87%(04/10時点)と世界中の批評家に絶賛され、第70回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門にて監督賞に輝いた『ウインド・リバー』である。

                      (公式ホームページ)

あらすじ

なぜ、この土地(ウインド・リバー)では少女ばかりが殺されるのかーー

 アメリカ中西部・ワイオミング州のネイティブアメリカンの保留地ウインド・リバー。その深い雪に閉ざされた山岳地帯で、ネイティブアメリカンの少女の死体が見つかった。第一発見者となった野生生物局の白人ハンター、コリー・ランバート(ジェレミー・レナー)は、血を吐いた状態で凍りついたその少女が、自らの娘エミリーの親友であるナタリー(ケルシー・アスビル)だと知って胸を締めつけられる。


 コリーは、部族警察長ベン(グラハム・グリーン)とともにFBIの到着を待つが、視界不良の猛吹雪に見舞われ、予定より大幅に遅れてやってきたのは新米の女性捜査官ジェーン・バナー(エリザベス・オルセン)ひとりだけだった。

 死体発見現場に案内されたジェーンは、あまりにも不可解な状況に驚く。現場から5キロ圏内には民家がひとつもなく、ナタリーはなぜか薄着で裸足だった。前夜の気温は約マイナス30度。肺が凍って破裂するほどの極限の冷気を吸い込みながら、なぜナタリーは雪原を走って息絶えたのかーー


 監察医の検死結果により、生前のナタリーが何者かから暴行を受けていたことが判明する。彼女が犯人からの逃走中に死亡したことは明白で、殺人事件としての立件は十分可能なケースだ。しかし直接的な死因はあくまで肺出血であり、法医学的には他殺と認定できない。そのためルールの壁にぶち当たり、FBIの専門チームを呼ぶことができなくなったジェーンは、経験の乏しい自分一人で捜査を続行することを余儀なくされ、ウインド・リバー特有の地理や事情に精通したコリーに捜査への協力を求める。

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予告編


7/27(金)公開 映画『ウインド・リバー』


公式ホームページ








<感想>人間の強さを「魅せる」ではなく「見せる」極寒の雪山。人間はどこまで強くなれるのか。大切な人を失った悲しみはいつになったら消えてくれるのか。その時、僕はどうしたら良いのか。

はじめに:やはりこの二人といえばアベンジャーズでしょう!


主演の二人を知った時には、アメコミ好き(にわか)の血が騒ぎました。だってあのジェレミーレナーとエリザベスオルセン!アベンジャーズ最弱戦士「ホークアイ」と個人的最強戦士「スカーレットウィッチ」の競演です。これは見ない手はない。


そしてこの二人といったら、『アベンジャーズ:エイジオブウルトロン』でのあの名シーンが強烈に印象的です。あの名シーンとは。


ウルトロンに攻め込まれた遺跡(?)の中、取り残されたのは先にあげたホークアイとスカーレットウィッチ。スカーレットウィッチはまだ戦闘経験がなく、なかなか外に出て戦おうとしません。そんな彼女を見かねたホークアイが、彼女に語りかけます。


「俺はただの人だ。それでも戦ってる。お前はどうだ?そんなに強いのに戦わないのか?お前ももう、アベンジャーズの一員だぞ」とかなんとか。やべえ全然正確なセリフを覚えてない。ごめんなさい。


でもこのシーン好きなんです。ホークアイはちゃんと自分が他のアベンジャーズに比べて戦闘力が劣っていることを自覚している。でも、自分はアベンジャーズの一員だから、この危機から逃げるわけにも行かない。しかも彼には家族もいる。


力は劣るかもしれない。でも戦わないといけない。そこからは、彼は消して逃げません。



さて、しょっぱなからこんなアメコミの話をしてしまいましたが、ご存知の通り、この映画はアメコミとは全く関係ありません。アメコミに興味ない方にはちょっと退屈だったかもしれません。しかし、やはり僕としてはこの映画『ウィンドリバー』とアベンジャーズは切っても切れない関係があります。


その関係とは。ズバリ、超人戦士をカッコよく”魅せる”のがアベンジャーズだとしたら、この映画は、あくまで普通の人間の持つ強さを”見せる”映画だったということです。



ジェレミーレナーの持つ「強さ」とは。

ジェレミーレナーは、「力は劣るけど自分に課せられた状況から逃げず戦う」という役柄がうまい。というか、僕が見た映画の中での彼はそういう役しかやってない。なぜか。


まずその筆頭がアベンジャーズシリーズのホークアイですね。これは先に述べたので割愛します。決して弱くなんかないのに、他のアベンジャーズと比べると明らかに見劣りしてしまうキャラクターですが、そこを帰ってホークアイの魅力にしてしまうあたり、さすがです。



あるいは『ミッションインポッシブル』の新シリーズの彼もそうです。こちらはもうすぐ新作が公開ですね!楽しみで待ちきれません!


このシリーズの中での彼も、決して戦闘力が低いなんてことは全くないのに、トム様がいつも隣にいるせいで見劣りしてしまいます。トム様の無茶を止める役柄に回されてしまう。ただそんな彼も、過去の失敗に深く傷ついて、それでもインポッシブルなミッションから逃げません。その男気が、彼のキャラクターを引き立てています。


この2作に共通するのは、彼には「強さ」があるということです。「強さ」というのは、肉体的な強さはもちろんですが、それ以上に、自分の力量を踏まえた上で、そこから逃げず戦う「強さ」です。いってみれば、内面的な強さが肉体的な強さに変換されているキャラクターだというふうに思っています。


そしてそこには矜持があります。矜持とは、英語にしてみればプライド、ということになるのですが、ただのプライドではありません。自分の力をわかり、その上で信じることによって得られる、根拠のあるプライド、とでも言いましょうか。その根拠が、彼を強い戦士たらしめている、と思います。


このアクション大作である2作では、その内面的な強さが表出された、彼のアクションやらセリフやらを、”かっこよく”、”魅せる”ことに注力していた、というふうに僕は見ています。



では、今作ではどうなのか。


今作で彼が演じたのは、ネイティブアメリカン保留地に住むハンターです。コヨーテなどを狩って、羊たちを守る、みたいな仕事しています。そのため、銃の扱いは超一流です。かなり遠くからでも相手に弾を命中させることができます。というわけで、彼は晴れて、最強の男を演じることができました。よかったね!

今作のジェレミーレナー


しかし。最強とはいっても敵はコヨーテだったり、ヤク中の男だったり。たかが知れています。前にあげたアベンジャーズやミッションインポッシブルとは、明らかに毛色の違う映画のため、最強とはいえどやはり所詮は普通の人です。そこが前の2作とは違います。


一方で、彼が演じてきた強さはここでも健在でした。今作でのジェレミーは、前にあげた2作とは比にならないほどの大きな傷を抱えています。それは、娘の死です。


真相は最後まで明かされませんが、彼の娘は、両親不在の時に、何者かにレイプされ、極寒の山の中をさまよい歩く中で凍死した状態で発見される、という壮絶な死を迎えます。そして、その責任は自分にあると、作中ジェレミーが演じたコリーは自責しています。


そんな中起こったのが、又しても少女の凍死事件。遺体には、レイプされた痕跡が見つかりました。しかも被害者は、コリーの親友の娘です。こうした事態に直面し、コリーは捜査に協力するようになります。


コリーはやはり、今作の中で「強く」描かれています。しかしその強さは、決して射撃の腕の良さの事ではありません。彼を強くしているのは、娘をなくした悲しみ、そしてそれから逃げず、悲しみも抱えていきていこう、と受け止める事で生まれた痛みです。


アクション大作では、ジェレミーの演じる「強さ」をアクションに変換する事で”かっこよく”撮り、そしてそれを様々な効果を持って観客に”魅せる”ということをやっていました。そこでは、注目されるのは「強さ」よりも「かっこよさ」です。そのために、いかにかっこよく「魅せる」か、と追求させていたと思います。


転じてこちらで描かれたのは、かっこよさではなく、「強さ」の方です。そしてその強さを、演出して派手に「魅せる」のではなく、ありのまま、時に弱い面も見せることで、ただ「見せて」いたんですね。彼の見せてきたかっこよさの中にある「強さ」を引き延ばして前面に押し出したのが今作とも言えると思います。


これは、これまでに彼がアクション大作で見せてきた一面があったからこそのものでしょう。その蓄積が、今作で力強く発揮されていると思います。


彼が演じたのは、最強の戦士ではなく、強くあろうとする一人の男だった、と感じます。


エリザベスオルセンが背負う、観客の視線

人の持つ「強さ」ということを言いましたが、これは二人目の主演エリザベスオルセンにも言えることだと思います。彼女は今作では、FBI捜査官のジェーンを演じています。

今作のエリザベスオルセン


彼女の年齢から察せられる通り、彼女は新米刑事であり、決して類い稀な捜査能力を持つ超人ではありません。しかし、彼女もまたしぶとく、強い人物として描かれています。


赴任された時には、極寒の地にもかかわらず(マイナス20度とかなんとか!)薄着で登場し、下着もTバック(!!!)、ひ弱そうな外見から、街の人に「あいつ大丈夫か」的な視線を向けられます。舐めてきてんじゃないか、と。そして多分、実際そうだったんでしょう。


しかし、彼女も事件の実態を知るにつれて変わっていきます。この辺りはやはり「ボーダーライン」とも似ていると思います。被害者女性は、レイプされたのち30キロ近くも裸足で極寒の中をさまよい、凍死しました。この街で何があったんだ、という衝撃が、彼女の姿勢を変えます。


ジェーンは死体を見てもびくともしません。(僕はビビりました。)目の前に腹をえぐられた死体が転がっていても、「oh my ...」くらいな反応でしっかりしている。とても常人にはできません。あるいは、ヤク中の家に踏み込む時も、危険と知りながら、堂々として立ち向かい、催涙スプレーを浴びせられても拳銃一本で踏み込んでいきます。あわや死にそうなところになっても、決して怯まない。


また、その場の全員が拳銃をあげて威嚇し合う中、場を鎮めようと一人拳銃をしまい仲間を諭す。こうした度胸も見られました。


また、実際に被弾しても、決して怯まず、犯人を追い詰める。いざとなればバンバン撃ってく。あんなにひ弱そうで可愛らしい見た目をしていても、その実内面には度胸も根性もあって、肝が座っています。


ではそれはなんでかというと、正義感なのだと思います(小並感がすごい…)。


なんとか「殺人事件でこの事件を立件したい」と思う彼女ですが、遺体の状況からして、その立件は難しいとされる。そこに食い下がって、検死官になんとかならないのかと詰め寄る。というシーンがあるのですが、その時見せた「何とかしてこの事件を正しい形に進めたい」という表情は、彼女の正義感を物語っていた、と言えると思います。


また、コリーの過去を知った彼女の中には、何か大きな変化があったのでしょう。この事件は氷山の一角にすぎず、そして決して許されることではない、という確信が芽生えたのではないか、と思います。


ところで、それは観客である僕にも同様のことでした。すでに何人もの方が映画の感想としてツイートしておられると思いますが、この映画がなければ、ネイティブアメリカン少女が直面している、こうした重大な問題が全く無視されている状況を、知ることはなかったと思います。彼女の今作での立ち位置は、映画上のキャラクターとしてだけでなく、今作で描かれたことを知らなかったという観客の視点との同化としてもすごく効いていたと思います。


こうしてコリーの過去を知ったジェーンが、最後コリーとする契約は、ただの正義感を超えたものになっています。何気なく、さらっと交わされる会話の中での契約は、実は正義とはかけはなれたものになっています。(どんな契約かってのは見てからのお楽しみです!)ではなぜ正義感のジェーンがこうした行動をとったのか。それは、コリーの持つ強さを知っていたからだと僕は思います。


壮絶な悲しみにも負けず、ただ強くいきていこうとする人間たちを前に、正義なんてのはちっぽけ。この悲しみを受け入れ、強くあろうとする感情を知って、彼女はそれを止めることなんてできません。むしろ共感してしまうのです。


このラストは僕は大好きなので、ぜひ多くの方に見てもらって、感想が割れるのを楽しみにしています。


薄着で赴任した新米刑事は、その土地の人の持つ「強さ」にふれ、確実にコリーの方へとよっていき、最後には感情を同じくします。この辺りのエリザベスオルセンの演技の幅と、脚本家として活躍してきた監督の手腕は確かだと思わされました。



最後に

この映画を見終わって感じたのは、派手な興奮なんかじゃありませんでした。静かな、衝撃が染み入っていくような感覚。この記事を書き始めたときタイピングがうまくいかなかったのは、それと無関係ではないような気がしています笑。


主演の二人が見せたのは、何度も言いますが、かっこよさではなくて、強さでした。それは、「辛い事件も、忘れたり逃げたりはできない。受け入れることで、その先に進める」という主題とも繋がっていると思います。しかしただ受け入れるだけでいいのか。受け入れた先で、こんなことが2度と起こらないように、そうやっていきていくんだ、という決意のようなものが、主演の二人から感じられました。


受け入れるけど、決して許さない、という感情の現れのようなラストは、僕は大好きです。被害者家族が復讐を諦める、という展開はぶっちゃけよくあると思うんですが、たまにはこういうのもいいじゃんか、とすら思います。


ラストシーンのジェレミーレナーの短く刈り上げた髪を見ながら、なんだか心地よいような気持ちにもなりました。彼の目には迷いがなく、それだけに、やはり強さを感じたからです。





最後まで読んでくださって、ありがとうございました!!!