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『デトロイト』 開始3分、暴動現場に放り出されろ!!!

アカデミー賞最有力候補!!!といいたいところだったんですけども。このコピーをつけたポスターは果たして大丈夫なんでしょうか。誇大広告とか。。。


今回見たのは『デトロイト』です!!!



その予告篇がこちら。


こちら!

予告編


映画『デトロイト』日本版予告編


ただならぬ雰囲気は予告編からしても嗅ぎつけられる訳で。だってこれ、デトロイトでなんかやばい暴動起きたらしいで、ってことくらいしかわからない訳でして。ただそのやばさ加減がすげえなっていうのはひしひしと、本当にひしひしとくるんですよね〜。残念ながら『ハートロッカー』も『ゼロ・ダーク・サーティー』も見ていない本当の映画音痴なので、この監督の作風とか映像のタッチとかもよくわからない状態で見るという目隠しお化け屋敷状態。怖いなぁ。グロいのとか怖いのとか出てくるのかなぁ出てきたらやだなぁ。と思いつつ、朝の9時半から新宿TOHOシネマズ、見てきました!!!!






作品情報


あらすじ


1967年、米史上最大級の暴動勃発。

街が戦場と化すなかで起きた“戦慄の一夜”

1967年7月、暴動発生から3日目の夜、若い黒人客たちで賑わうアルジェ・モーテルに、銃声を聞いたとの通報を受けた大勢の警官と州兵が殺到した。そこで警官たちが、偶然モーテルに居合わせた若者へ暴力的な尋問を開始。やがて、それは異常な“死のゲーム”へと発展し、新たな惨劇を招き寄せていくのだった…。

                    (公式ホームページより)


監督


キャスリンビグロー

さて、この監督なんですが、これまでのショーレースで有名な方だとは知ってるんですが。。ごめんなさいこれまで見てこなかったんです許してください。。。。


代表作といえば、『ハート・ロッカー』、『ゼロ・ダーク・サーティ』ですよね〜。そのほかにもドキュメンタリーとかをとっている、いわゆる社会派ってヤツですね。『ハートロッカー』でアカデミー賞監督賞を女性で初めて受賞した監督ということ。これは絶対見ておかないといけない。。。


キャスト

ジョン・ボイエガ   メルヴィン・ディスミュークス
ウィル・ポールター   フィリップ・クラウス
アルジー・スミス   ラリー・リード
ジェイコブ・ラティモア   フレド・テンプル



個人的には、スターウォーズで一躍人気者になったジョンボイエガに注目しています。今回の暴動ではどのようなやくまわりになるのか!?



公式ホームページ


公式ホームページが凝っていていいっすよね〜。実話感がすごい。(語彙力ない)









感想

戦争映画の定義は拡張されつつある。これはまぎれもない戦争の映画だ。



一方は人種主義者。彼らは白人警官の格好をしている。他方は監禁された黒人たち。しかし彼らは銃を持っていない。



あまりに一方的な構図に、誰もそれを戦争だとは思わない。だが、まぎれもなく彼らは憎しみ合うことで戦闘している。



さて、何が戦争映画かって話になると思うんですけど、何か巨大な力によって戦闘状態に否応無くぶち込まれた人々とそれを取り巻く人たちの映画、という定義でお願いしやす。


黒人警備員がいう「この夜を生き抜け」と。彼ら黒人にとって、銃を持たないその夜の兵士たちは、生き抜くということでしか戦いに勝つことができない。圧倒的不利な状況で、その夜無事な場所を見つけることが彼らにとっての勝利となる。


差別とか虐待とか、そんな生易しいことでこの状況を表すことはできない。隣で誰かが死に、誰かが人を殺し、誰かが叫んでいる。血みどろの、憎悪に満ちた、そして悪意が生んだ戦争だ。しかし、これが時代によって仕方なく起こった人種という勘違いなのか、それとも人間の汚いものの証明なのか、僕は後者だと思うが、それを客観的に見ることができるのは一歩引いてこの事件を観察することができる現代になったからだと思う。



しかし。この事件を今映画化するにはどう考えても理由がある。現在もこの戦争は続いている。黒人白人、それから女性蔑視とか色々。今と当時が違うのは、それを発信したところでどれくらい影響力があるか。しかしそれでもまだ力無い人たちは一定数いる。その中で、特に黒人差別が(警官によって殺害されたり)また激化しつつある現在にこれをやるっていうのは、もう監督や作っている人たちの主張なのであって。生き残るための戦いはまだ続いているのであって。


「戦争の首謀者は誰なのか?」「首謀者は人種差別警官なのか?」と言われると違うような気もするんだよな〜。彼の側についた人って多分相当数いたわけで。というか、最後の判決がそれを物語っていて。


直接的にことを起こしたのはあいつなんだけど、それを容認した人がいて。それに甘んじた人もいて。それに賛同した人もいて。人々を守ろうとした黒人警備員を犯罪者にした人がいて。


そういうその時代を包み込んだ空気が、不毛な戦争へと人々を駆り立てていたのであって。そしてその空気を発していたのは誰なのかと言われたら、政府なのか?いやいや。警察なのか?いやいや。じゃああれか、黒人が煽ったのがいけないのか。いやいやいやいや。というわけで「誰だ」、って断定することはできないと思うんですよね。



事の始まりはただのおふざけでした。


最初は大した事件じゃあなかった。本当は。確か警察がしたことはひどいことだったけど、それに対してそれ以上のことで応戦したのは黒人住民。印象に残ったセリフで「問題は我々があまりに非暴力的だったことだ」というセリフ。あまりに今まで言いなりになっていたから、こんなことになってしまうのだ。だからやり返そう!と。火が放たれます。そこから一気にデトロイトは戦場になっていく。軍隊が出てきて、街はパニック状態に。


一方。ここでいろんな視点が出て来て映画としての面白さを持ち出してくるところです。


一人は、歌手の男。こいつはもうちょっとで念願の晴れ舞台に立てる!ってところだったんですが、デトロイトの暴動で舞台が中止に。夢だった舞台で歌うことができなくなって、失意の中誰もいない観客席に向けて一人歌い上げる姿、かっこよかったし彼の思いがすごく伝わって切なかった(しかしこの人歌うまいっすね。よくこんな人見つけたな、と何度もびっくりさせられた)。仕方なく店を出ると、その暴動に巻き込まれ、兄と仕方なくモーテルに入ります。このお兄ちゃんがすげえいいやつで。その代わりに割りを食っちゃうやつで。ナンパもできないし、嘘もつけないんだけど、弟思いで彼の夢を本気で応援している。本当にいいやつなんです。前半のいいやつぶりが後半聞いて来て。


もう一人が黒人警備員の男。スターウォーズのフィンで一躍有名人になったジョンボイエガがやってます(便宜上ボイエガと表記します)。こいつもまたいいやつで、ボコられそうになった黒人少年を優しく諭してお家に無事返したり、結構無鉄砲というか、向こう見ずな行動を起こすやつなんですけど、その根底にあるのがいつも優しさで、彼なりの方法で現在の、体制対黒人の構図に巻き込まれたデトロイトと戦っているのだな、と感じました。


ボイエガが警官にコーヒーを持っていくところが印象的です。ボイエガは善意でコーヒーを差し入れに行った。一旦喜ばれるんだけど、「さとうないの?」と。これが象徴的です。単純に黒人が蔑視されていたという事実も描かれているけどそれだけじゃなくて。つまり、善意に対してあまりに無関心だと思うんです。善意に対してはやっぱり感謝しないと。善意には善意を。その応酬が一方通行だからちょっとおかしなことになるわけで。事件と照らし合わせてみると、黒人は何もしていない。ただ壁に向かって立たされている。そこに対して一方的な暴力っていう構図が一番問題なんであって。


モーテルでは外の暴動が嘘のように賑やかな感じ。ビッチな、しかも白人のお姉ちゃんが黒人にナンパされていたりとかしています。意外と一本入るとこんなもんですか!?と思っちゃう驚き。そこにずっと住んでるみたいな黒人おじさんと彼の仲間たちなんですけど、「この街はダメだあ」みたいな感じの愚痴を言うわけなんですけど、その中でも生きてくしかねえやあみたいな楽観的なムードを感じてちょっと楽しい。と言うか、気楽なムードが充満していると言うことで、見てるこっちもさっきまでの緊迫ムードからちょっと肩の力が抜ける感じがするわけです。


そこで、ですよ。おもちゃの銃を発砲しちゃうおじさん。これはいかん。ふざけていてもダメでしょう。このタイミングでこういうことをしたらどうなるか、ちょっと考えればわかるのに。しかも予告では一発なんですけど、五発くらい連射しちゃうわけです。もちろんおもちゃだからたま入ってないんですけど。


このおもちゃの銃発砲のタイミングで、視点がモーテルから警官隊の方に一気にチェンジ。このカット本当に上手ですね!一気に心臓ギュッっとされて体が緊張についていけない。展開が急激にただならぬ方向へ向かっていると言うのを心臓で感じました。。。


戦場で発砲音がしたら敵が来たと思うのが軍隊の常套手段。警察隊は一気に大パニックに。



暴力に対して非暴力は、不寛容に対して寛容は、あまりにも弱い。


そもそも黒人は今回(たまたま)何も犯罪をしていないですよね。それなのに、人を殺したりひどいことをするのはいつも白人で。なんだけど、その悪いことにはないかしら理由がつけられるわけで。


いや、ここで白人っていうワードを出したらいかんですね。白人の中でもちゃんと人種に関わらずに物事を見れる人ってたくさんいました。黒人警備員だって白人にも黒人にも同じだけの善意が向けられる。その時すべきことをする、正しいと思うことをする。言い換えれば、正義、ということになるでしょうか。この映画では人間のジャンルわけが肌の色じゃあできない。


その点で言えば、黒人の側も鑑みれるサイドと鑑みることができないサイドとの対決と言う構図になるわけです。でもそう考えると、後者のサイドがどう考えたって少なすぎる。クラウスとその相棒、多く見積もってももう一人くらいです。それに対して、そんな暴力的なクラウスの行動に反対する人たちってその何倍もいたはずなんです。なのに、クラウスたちの行動を誰も止められなかった。


これは、他人の感情を考えない悪意の暴力性、強力性がどれほどかと言うことを表している。暴力に対して非暴力は、不寛容に対して寛容は、あまりにも弱い。だから人数的に不利だとしてもその場を制圧できちゃうわけです。そして最後ではどのような顛末をくだるのか。こういうところが実話ものなんだな、と思いますね。ガチンコなんだなって思いますね。


さて、黒人たい白人という構図が成立しない今作なんですが、それは白人の中にも人種に対しての差別がない人がいるからです。


クラウス人種差別警官の上司は、彼の発砲事件を「殺人だ」としています。また、今にも殺されそうな黒人を逃した軍人もいたわけで。彼らには、クラウスとは全く違うベクトルの正義が通っていたはずです。


という見方をすると、単純に人種差別があった過去の歴史の話、という見方はできないと思います。これは人の善意と悪意の話。その悪意が理由を持つと、つまり正義を帯びると、人はどこまでも落ちていける。例えば殺人とか。


しかしこの場合の正義ってどこまでも独善的ですよね〜。白人にとって良いことが良いことだ、と。


クラウスはどこまで正義でやっていたのでしょうか。彼は最初の方にこそ「ちゃんとした理由があったんだ」とかって言いますけど、最後には「ゲームなんだよ」と言いますね。ついに言いやがったなと思いましたよね。本音でたな!って。


彼にはどこまで本気で、どこからゲームだったのか。それとも最初からゲームだったんでしょうか。



暴動だけでは終わらないのがこの映画


さて、暴動から事件が起き、それが明るみになる。普通の映画ではそこで終わりだと思うのですが、そうもいかないのがこの作品でして。この実話には続きがありました、と。


このことをちゃんと書かないと、実話ものとして、そして何より、今映画として新たに人々に届ける意味がなくなるわけでして。


さっきも言ったんですけど、この最後の顛末が、少なくとも当時の状況を表しているんだと思います。この当時は世間の風潮が、均衡を保っていなかった。だからそんな時代では、善意は悪意には勝てない。不寛容は寛容には勝てない。


しかし、その根底にあるのはただのヘイト。あるいは知らない、というだけのことかもしれないけど。そんな小さなことだけで、人は人をここまでそこ萎えるのか、損なっても平気でいられるのか。そういう恐怖がありました。人間はここまで邪悪になれるのか、という恐怖。そしてこの話が実話ということもあって、人間の知らない一面を知ったような気がしました。


今映画として新たに届ける意味っていうところなんですけど、これは今もその差別が続いているってことですよね。特に最近は。狭義でいえば黒人が警官に殺害される事件とかもまだ発生しているし最近多かったりする。あるいはアカデミー賞は真っ白、と言われるようなところまで。黒人差別はまだ続いている。


でもそれだけでしょうか。差別する、という人間の潜在的な汚いところ。それはたかだか五十年くらいでは治らないわけで、きっとこれからも付き合い続け戦い続けないといけないところなのではないでしょうか。そういう不治の病みたいなものが、どれだけ恐ろしいか、そして、その不意の病で人生がぶっ壊される人っていうのがどれだけいることか。どれだけ簡単に壊されてしまうのか。


それまでステージの上で名をはせることを熱烈に夢見ていた歌手の男は、この事件を機に表舞台に出ることができなくなり、仲間と別れて一人で活動していくことになる。舞台に立てなくて一人で舞台上で歌っていたような男がですよ。もう夢に向かって生きていくような気力はなくなっている。


あるいは、事件に関わったせいで、仕事だと自分を納得させながら人殺しに踏み出す男。こいつはそれまでどんな人間だったのかわかりませんが、間違いなく人生が歪んでしまった。


そういうことを明確に「記録」したのが今作なのではないかと思います。



臨場感だけではまとめられない放り出され感


なんでこの映画を戦争映画だとか訳のわからないことを言っているかと言いますと、映像のタッチが『ダンケルク』っぽいなって思ったからなんです。本当にその場に、その暴動の瞬間に立ち合わせたかのような、臨場感といえばそこまでなんですけど、その圧がすごい辺りがダンケルクっぽいな、って思いました。体感させる、体験させると言うところにこだわった撮り方だと思いました。


例えば、ぶれるカメラ。登場人物を後ろから追っていく視点。急にアップになったり急にパンしたり。あとは何かドラマ的なシーンの演出というよりは、ただ暴動なら暴動をそのまま撮る。後半なんてほとんど密室劇のはずだけど、セリフ劇っぽくならないのは、ちょっと引いた取り方、ただ記録するような撮り方だと思います。その圧たるや!!!


『ダンケルク』は「開始3秒で戦場に放り出される」、という評があったかと思いますが、今回もそのレベル。まあ開始3分くらはその当時の状況を説明したアニメーションでしたのでそうはいかないのですけども、「開始3分で暴動現場に放り出される」、とは言えるんじゃないかな?と思います。臨場感という言葉では表せないほどの、その場に居合わせた感。まるで目撃者としてそこにいたかのような感覚。だからこそ恐怖がこちらまで伝わってくる。


これを最後のカットまでやり遂げた監督はとんでもない人だと思います。そりゃ、アカデミー賞監督賞女性初受賞くらい当然、なのかもしれないですね。


そうそう、その最初の3分くらいのアニメーションがああったから、序盤の流れがよくわかったってのはありますね。こういう映画で、「いやどういう時代のどういう状況の話?」ってなるの嫌じゃないですか。そういうのが一切なくて、すごく安心した気がします。


そのアニメーションも、油絵の抽象画を連続で並べたみたいなものになっていて、印象的に観客に伝わると思います。どうしても字幕に目がいってしまうと思いますが、なんとか絵も見て欲しいところ。といっても僕も内容追うので精一杯でしたが。




最後に


・途中で、「あ!ファルコン!!!」と思ってしまう私、アメコミ芸人でした。しかも退役軍人だったし。しかもしかもいい男なんだよな〜。「お前のいいなりにはならない」とか言って。いいなりになりかけていたけど。あと女抱いてたけど。


・クラウス役のウィルポーターさん。逆八の字は元からですか?多分見ている人全員気になってると思います。鼻の穴が横に広いところも含めて、なんか感に触る顔をしているこの人をキャスティングした人は天才だと思います。



という以上二点を踏まえた上で言います。


すっげえいい映画!衝撃度だけで見ればこれを超えるものは年に一本あるかないかくらいじゃないかな〜?


しかも難しくないから!重いけど難しくはないから!!!だから毛嫌いしないで見てください!本当に考えさせられるいい映画でした!



最後まで読んでくださってありがとうございました!!!






1月26日