『レディ・プレイヤー・ワン』映画好きのための映画爆誕!今すぐウェイドにログインせよ!!!

今回見てきたのは、



『レディ・プレイヤー1』



です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!






あらすじ

2045年。環境汚染や気候変動、政治の機能不全により、世界は荒廃していた。そのため、スラム街で暮らさざるを得ない状況に陥った地球上の人口の大半はオアシスと呼ばれる仮想現実の世界に入り浸っていた。
オアシス内では現在、創始者であるジェームズ・ハリデーが亡き後流された遺言により、勝者にはオアシスの所有権と5000億ドル相当のハリデーの遺産が授与されるアノラック・ゲームが開催されていた。ハリデーがオアシス内に隠したとされるイースターエッグを探すエッグ・ハンター、通称ガンターが日々3つの鍵とそれを手にするための関門となるゲームに挑んでいた。
スラム住人の若者ウェイド・ワッツは勝者となるべく日々奮闘していたが、ゲームにはオアシスの管理権を欲する世界2位の大企業IOI社社長、ソレントが送りこんだ参加者もいた。ウェイドは第一の関門を突破するが彼の現実世界にも危険が及び、レジスタンスのアルテミスやオンライン仲間たちとともにソレントに立ち向かっていく。。。。


予告


READY PLAYER ONE - Official Trailer 1 [HD]


HP





映画好きのための映画、爆誕。

小説家の重松清さんがあるところで言っていたのですが、曰く、「人間ていうのは、自分じゃない誰かになりたいものなんだ。」「小説っていうのは、自分ではない誰かになるためにあるんだ」と。

エイジ (新潮文庫)
エイジ (新潮文庫)
新潮社

(↑重松清さんの小説の中でいちばん好きなやつ)


これは全く映画についても同じことが言えると思うんです。
映画というのはいわば仮想世界の一種ですね。現実とは隔離された世界で、バーチャルなものです。


観客はその仮想世界で、自分ではない誰かになり、ここではないどこかへと行き、敵と戦ったり、恋をしたりします。そんな風にその世界での体験を、あたかも自分がしたかのように感じるのではないでしょうか。そして観客はその「体験」の中で、感情を揺さぶられたり、共感したり、教訓を得たり、はたまた純粋に興奮したりします。


しかし一方で、私たちはもちろん現実の世界で生きています。僕のような学生は、朝起きて学校に行かないといけないし、シフトの時間になったバイトに行かないといけない。現実の世界では友人関係や恋愛関係やらが複雑に絡まっていて、もちろん楽しいこともたくさんあるかもしれないけど、問題が起こることもある。それは学生だけに限ったことではなく、社会人でも主婦でも、どんな生活をしている人もそうなんだろうと思います。


さてそんな時に映画は、あるいはその他の仮想世界の出来事は(ここには小説や漫画や、もちろんゲームなど、その他諸々の現実とは離れたものが含まれると思ってください)無意味で無力なのか。現実の物事に、仮想世界の物事は何もすることができないのか。


そうではないと僕は思っています。


仮想世界で体験した物事を、感じた感情や、得た教訓や興奮を、現実の世界に持ってくる。そうすることで映画は、仮想世界は意味を帯びてくるのではないだろうかと思っています。


例えば仕事が大変だっていう時に、「今週末見る映画が楽しみでなんとかやり切れた」とか。例えば「あの時のあのセリフでものの考え方がちょっとでも変わった」とか。そういう経験はないでしょうか? そういう風にして、仮想世界の話を現実の世界に還元することでやっと、仮想世界での体験が身を結ぶのではないかと思うのです。


冒頭から勝手に自分の映画観を語ってしまってすみません笑。しかし、今回観た『レディプレイヤー1』と言う映画は、まさに、映画のための映画、映画好きのための映画でした。これはもう見た人全員がそう言うでしょう(事実そんな感じで燃え上がっている感想がいくつもすでに見つかります笑)。それというのもこの作品、「僕たちは映画やその他の仮想空間で何ができるのか。仮想空間は現実でどんな意味を持つことができるのか。」そんなことを最高に楽しく、面白く、スピリバーグ自身が直接語りかけてくれた作品だったからです。


oasisと2045年

この映画の特殊で面白いところは、「現実と仮想世界」という関係性の入れ子構造にあると言えます。
つまり、観客と映画という関係性が、そっくりそのまま「映画の時間軸とoasisというVR世界」に投影されているということです。


この話の世界である2045年は、現実世界が崩壊?しているような設定で、世界でいちばん発展している都市の様相が荒れ果てた集合住宅という夢も希望もない世界(に少なくとも観客には見える)です。そんな世界は、バーチャルワールド「oasis」が世界的に流行しています。主人公はその「oasis」の凄腕ゲーマー、パーシバル(アバター名)ことウェイド。そのウェイドが、oasisに眠る秘密のお宝を巡って巨大企業と戦う、というのが本作のあらすじ。その過程で彼は仲間を手にし、恋を体験します。


入れ子構造と先ほど言いましたが、とりあえず映画の中を見て見ましょう。


oasisっていうところはVR世界でして、ユーザーが好き勝手に自分のアバターの格好やら攻撃技やらをいじくれるんですね。てところが映画好きを燃えさせる最大のポイントでして!


本編140分の間にこれでもかというほど、ポップカルチャーや映画の隠れキャラの小ネタが差し込んでるわけですよ!これがこの映画の最大のウリとも言える楽しさです!そして何より、日本人にとっては奇跡的な体験でしょう!!なんたってあいつもあいつもあいつのあれだってでてくるんだから!!!


まあまず一番名前が挙がってるのが「AKIRA」という映画に出てくる金田の赤いバイクですね。それからガンダム!さらにさらにキティちゃんもストリートファイターもインベーダーゲームもファミコンもそして〇〇〇〇〇まで!!!ちなみに日本人の登場人物も出てきていて、そいつのアバターは鎧兜を着た侍風なんですけど、モデルはあの三船敏郎だそうで。


とにかく日本の映画好きなら発狂しそうな仕掛けがたくさん出てくるんですわ!!!


それから、「BACK TO THE FUTURE」からデロリアン、アイアンジャイアント(これ元ネタの映画が超名作なのでぜひ!!!)、スピルバーグ監督作ともあってキングコングやTレックス(ジュラシックパーク)ターミネーターのオマージュ、さらに「シャイニング」のモロ引用などなど、例をあげればきりがないほどに映画ネタゲームネタカルチャーネタが盛りだくさんです!


僕なんかは中途半端な映画好きなので、全然元ネタとかわかんないんですけど、それでも熱が入っちゃうくらいいくつも小ネタが出てきてすげえ楽しかったっす!あとは年代にもよるのかもしれないですね、特に音楽とかカルチャーとか。


てな風に、これを見ている映画ファンあるいは年代的にドンピシャな人とかなんかは「映画さいこーーーーーー!!!!!」ってなるはずなんですよ!「oasis楽しーーーーーー!!!!!!」て叫びたくなっちゃうんですよ!そしてそれを最強に楽しんでいるのが主人公ウェイド。その興奮や世界観に思わず観ているこちらも感情が乗り移ってしまいます。



一方で、楽しーーー!!!だけで行かないのがこの話。oasis創立者のハリデーの遺言から、oasis内にあるという三つの試練をクリアしてoasisの権利を手にしようと世界中でVR世界内での戦いが繰り広げられているわけなんですが、嫌なことを考えるのが大人で、大企業「IOI」の重役ノーランが率いる精鋭ゲーム部隊とのウェイドとの間でoasis争奪戦が繰り広げられるわけです。ウェイドはその争奪戦に巻き込まれてしまうわけです。で、唯一の現実のつながりであった家族を(まあそいつらも割と最低だったりするところが主人公の閉塞感を感じさせるのですが)殺されてしまう。ウェイドは天涯孤独になってしまうわけですね。


そんなことがあって、ウェイドはついに現実の世界でも戦わなければいけなくなる。それまでは仮想世界に逃げていたけれど、そればっかりでは行かなくなる。そして現実にいるIOIとの戦いをする過程で、仲間をそして愛を手にして行く、と。


きわめつけは、(誰がどう観てもスピルバーグの投影としか見えない)ハリデーの終盤の言葉「現実しかリアルじゃないんだ」。これですよ。どうやったって現実が付いて回るし、その現実にしかないリアルというものが絶対にあるよ、と。その「リアル」ってのが仲間であり愛である、と。その現実から逃げていてはいけないし、現実はそこまで悪いもんじゃねえぞ、とスピルバーグから直接語りかけられているような気持ちになりますよね。


ここなんです。この「映画楽しーーーーーー!!!!!」という超大興奮要素と、「でも現実しかリアルじゃないよね」というメッセージ。全く反対のことを言っているようだけども、その両立こそが映画の、あるいは仮想世界の楽しさだよね、という落とし所にうま〜くおさまっているような気がします。


「孤独な主人公が、戦いを経て仲間や愛を見つけ強くなる」という一見よくある冒険ファンタジーに「仮想空間と現実」という、新しい時代の一要素を加えたことによって、全く新しいストーリーが誕生したと思います。


ここで最初に言ったこととつながるのですが、映画をはじめとする仮想世界は、そこでしか手に入れられないものを手にすることができる一方で、そこで手にしたものを現実の世界に持って帰って、現実で使って初めて意味のあるものになるのではないでしょうか。それは「現実しかリアルじゃない」というハリデーの言葉とも繋がりますし、何より映画の最後でウェイドが”oasisを火曜と木曜は閉鎖する”という方針にしたこととも繋がります。


現実だって大事にしようと。そのための仮想世界なんだと。


観客は皆、ウェイドにログインする!

さて、入れ子構造といったので、この「仮想世界と現実」という関係性をもう一段階おっきな見方で観てみようと思います。それが、現実にいる僕たち「観客」と、『レディプレイヤー1』という「映画」との関係性です。


スピルバーグは、単に映画好きに「映画さいこーーーーーー!!!」を味合わせるためだけに作ったのではないだろうと思いました。それは、映画を史上最も愛したといっても良い男からの映画の愛し方を語りかけるための映画だと思うのです。


先ほど言った「現実だって大事にしようと。そのための仮想世界なんだと。」という言葉は、決して『レディプレイヤー1』の世界の住人だけに当てはまることではありません。仮想世界とは映画であり漫画であり小説であり、、、今世界に溢れかえっているものです。僕らはそれを毎日のように受け取っています。


さっきも言ったように、この映画は映画好きこそ楽しめる映画です。映画好きにあればなるほど楽しめる映画であることは間違いないでしょう!映画が好きでポップカルチャーが好きな人はきっとこの映画を見て「レディプレさいこーーーーーー!!!!」と叫んでいるに違いないのです(どうだろう)。


一方、この立場は劇中のウェイドとも重なります。ウェイドは映画が好きでゲームが好きでポップカルチャーが大好きだからこそoasisの世界を堪能でき「oasisさいこーーーーーー!!!!」となっていたのです(彼はそんなことは言ってない)。


ということで、「『レディプレ』を最高に楽しんでいるあなた」と、「oasisを最高に楽しんでいるウェイド」という立場は、「映画が好きでポップカルチャーが好きで、今見ている仮想世界を最高に楽しんでる」ってところで、完全に一致するんじゃないでしょうか?


しかし、ウェイドの方はというと、その最高な仮想世界をまるで辛い現実世界の逃げ場として最初捉えていました。決して友達も作らず一匹狼でゲームの世界で名を馳せていました。そこに来てこの戦いが展開され、現実で作られる関係性の尊さに気づくのです。「仮想世界はさいっこうに楽しくて尊い!だけどそれは現実を豊かにするためのものなんだよ」ということに気づくのです。


さて、観客はこの映画を見終わったところではこのウェイドの段階には来ていませんよね。「oasis最高ーーーー!映画楽しーーーーー!!!!」という感慨になるというのは、ウェイドがoasisを堪能していた段階と同じで、そこで終わっては序盤のウェイドで止まってしまってます。


ここで大事なのは、観客は映画の終了と同時に現実世界に放たれることです。否応無く。『レディプレ』の世界と違って、観客である僕らはいつまでも仮想世界にとどまっているわけにはいかないのです。


ウェイドが現実で戦う中で、この仮想世界oasisを味方につけました。仮想世界で得たものを手に現実を戦いました。それと同じように、ウェイド=観客も、この映画を味方につけて現実を生きていくことになります。というか、むしろ「そのようにして現実を生きて欲しい」というのが最大のメッセージなのではないかと思います。


なんども言いますが、この映画を見終わって楽しかった〜となっている段階は、ウェイドがoasisに入り浸っていた一匹狼時代と変わらないのです。映画好き=ウェイド/観客の線をなぞるなら、僕たち観客も、ウェイドと同じように仮想世界で得たものを現実に持ち帰り、現実を豊かにするために仮想世界を楽しんでいくことでしょう。そんな風にして初めて、ウェイドがoasisでした戦いやそれによって得た成長を、僕ら「観客」もなぞることができるのです。


この映画は、これからの映画やその他の仮想世界の捉え方受け取り方を持って完成するようになっているのです。「ウェイドがしたように、君達も仮想世界を現実を豊かにするために使ってくださいね」というスピルバーグの呼びかけに対して、これからの映画の受け取り方をそのようにすることで、完全にウェイド=観客という線を達成することができるのです。こんな風にして、『レディプレイヤー1』という映画が、映画好きにとって永遠のものになると言えます。



ざっくりまとめると、映画やカルチャーが大好きなウェイドという人物が、この映画を見ている観客と立場が一致するということが今作の面白いところだと思います。そして、ウェイドが成し得た冒険を、観客は映画を見た時点ではまだ成し得てない。ウェイドが冒険をしたように、観客も映画を見終わった後に始まる現実を生き、変な言い方をすればそこで冒険するんだ、という入れ子構造をしてます。ウェイド:oasisの関係が、観客:『レディプレ』の関係と完全一致する、ということです。なんです。。。。御免なさい超わかりづらくて。。。。。。。。。。。


ということで、観客がログインするのはoasisではありません。ウェイドにです。ウェイドにログインし、ウェイドの体験を追体験する映画なんです。そしてその追体験全体に、映画内のoasis<仮想世界>と同じ楽しみがあり、観客はそれを堪能した後、ウェイドがした冒険のスタートラインに立っている。そして今度は観客がウェイドと同じ立場で実際の現実を生きていく。


みたいな。






ああああああああ言いたいことの半分も言えてないよおおおおおおおおおおおおおおおお泣








81点