『ダンガル きっと、つよくなる』 バーフバリもびっくりな熱血パパの親バカ映画。
今日見てきたのは、
『ダンガル きっと、つよくなる』
です!!!
キャスト
・マハヴィル-アーミル・カーン
本作の主人公。元アマチュアレスリングの国内チャンピオン。娘二人に金メダリストになるためのレスリングの特訓を強制する。
・ダーヤ-サークシー・タンワル
マハヴィルの妻。
・ギータ-ファーティマー・サナー(青年期)/ザイラー・ワシーム(幼少期)
マハヴィルの長女。
・バビータ-サニヤー・マルホートラ(青年期)/スハーニー・バトナーガル(幼少期)
マハヴィルの次女。
・オムカル-アパルシャクティ・クラーナー
マハヴィルの甥。彼もまたレスリングの特訓に巻き込まれる。
あらすじ
レスリングでインド国内チャンピオンにまでのぼりつめたマハヴィルは、生活のために引退し、若手の育成に励んでいた。心の奥底でレスリングをあきらめきれないマハヴィルは、子どもに金メダルをとる夢を託そうとするが、生まれてくるのは女の子ばかり。それでもケンカで男の子をやっつけた長女ギータと次女ハビータを見て、二人をレスリング選手として鍛えることを決意する…。(渡まち子氏の記事より抜粋)
予告編(松岡修造)
さて、今回はいつにも増してゆるーくいこうかな。
感想言って見ます!!
男女ともに鍛え上げられた体から繰り出される大迫力のレスリングと、父と娘の熱い絆が胸に迫る!!!けど、いやいや?がたくさん残ってしまうよ…
圧巻のレスリングシーン
はい。というわけで見て来ましたよ。インド映画といえばみなさんお忘れではないでしょうなあやつを。そう、
バーフバリ
です!!!
古代からの神話を大迫力で映像化し、日本人の映画ファンまでもの心を鷲掴みにして未だに離さないあの大巨編。その熱気に押され、キャストと監督が来日する話が出来上がったとか。とにかく見たら3分でわかるんですけど、とんでもない映画ですよこれは。
興奮とともにわけのわからない文章で熱気を伝えた僕のレビューはこちらを見てください。
さて、そんなマヒシュマティ王国の王をも凌ぐような恰幅の大変よろしいお父様が今回の映画の主人公です。もともと無敵のレスリング選手だったお父さんマハヴィル。彼は引退後、子供を授かります。レスリング熱が胸の中にムラムラと不完全燃焼していたマハヴィルは、自身の夢であった「世界大会で金メダル」を子供に託し、生まれてくる子供を待ちました。しかし、生まれて来たのは女の子。女子レスリングなんて盛でもなんでもないインドでは、こいつはがっかり大事件です。しかしお父さんへこたれません。女子でも鍛え上げればいい!マハヴィルは奮起して、猛烈熱血鬼指導を始めます。食べ物も制限、鬼のランニングと筋トレ、サボったのをいいことに娘を丸刈りに。。。
この熱血指導シーンやばかったなあ〜。インド映画お得意の音楽が心情を歌ってくれる場面もたくさんありますよ(^^)
こんな感じですね序盤は。
まずね、何がいいってレスリングシーンですよ。レスリングを扱う映画でこれが不味かったら一気に冷めちゃいますよね。
何と言っても大迫力!僕は普段レスリングとか見ないんで、試合がどんなもんかなんて全然わからないんですが、あんなに相手を投げ飛ばしたりするんですか!?
まるで柔道とかプロレスの技みたいな投げ業に、体を捻る(関節から軋む音が聞こえて来そうな)寝技?、あとは、相手との駆け引きを生み出す細かい手の動きとかまで、どこを取ってもレスリングしてるところは手に汗握るなんてもんじゃないですよ!
しかも音がいいですね。思いきし相手を叩きつける時にはバシン!てどでかい音。寝技でせめてる時にはマットの擦れる音。掌が当たるパチンパチンという音。映像の持つ力を何十倍にも増幅してくれるような効果音でした。
取り方も上手くて、とりあえずすごく近い。そして技が決まる時にはそれが一番効果的に見えるような撮り方をしているように思いました。投げ技の時には相手がマットに叩きつけられる瞬間を抑えて、重みも感じられるような撮り方だし、寝技の時には真上から体を捻らされてる選手をとる。またマットではなく地面が土の試合では(ギータ幼少期の試合ですね)、土埃が舞う様子もかっこいい。
とにかくレスリング映像は迫力満点です!!!
さすが『バーフバリ』の国!!!
この題材を扱って何が成功かって、ボクシングとかプロレスならまだしも、レスリングってほとんど誰も手をつけてないスポーツなんですよね。てかそうなんじゃないでしょうか。ぶっちゃけボクシング映画ってロッキーをはじめとしていくつもあるし、それはそれで迫力あるならいいと思うんですが(去年の『あゝ、荒野』は最高でしたね)、レスリングはまた違った動きをするので見ていて飽きることがありません。
しかも僕みたいなルール初心者にもわかるようにちゃんとマハヴィル監督のルール説明もあるし。完璧に理解したわけじゃないけど、まあ見ててわかるくらいにはレスリングの世界観にとけこめるわけです。
主役のマハヴィルはレスリングの現役時代から、親父になって娘がもう20歳超えるような年までを演じているわけですけども、何が大変て、どの年代でもレスリングシーンを演じないといけないんですね、脚本の構造上。もちろんどのシーンも、アクロバティックにカッコよく迫力のある、しかも男性のレスリングシーンだけに重みのある、とても良いシーンになっていました。主演のアーミルカーンなんですがね、インドでは大スター。インド映画を一躍世界に広めた『PK』にも出ています。
そのアーミルカーンの役作りが本当にすごいのですよ。現役選手の時は直線的な大胸筋が見えるシックスパックのゴリゴリの選手を、しかし子供ができて監督業に入ると、太鼓腹のおっさんへと様変わり。明らかに別人のように見えます。この逆ダイエットを完成させ、しかもその太鼓腹でレスリングをやるシーンを撮影するなんて、どんだけ過酷なんだよっていう。
これが、
こう。
元はこう。
過酷さで言えばマハヴィルの娘、ギータ役を演じる、ファーティマー・サナー・シェイクもすごい。この人よく見なくても美人なんですよ!ここ大事です。超美人なのに、レスリング選手役、しかも髪の毛をバッサリ切って。
レスリングやるシーンでは、どこまで本人がやってるのかわからないけど、体を張ってレスリングしてます。顔見えてるシーンもたくさんあったから、ほとんど自分でやってるんじゃないでしょうか。すごい。
ギータには妹がいて、バビータって言うんですけど、この子も優秀なレスリング選手になるんですが、こちらの方もギータに比べれば少なめにせよレスリングやってます。美人姉妹なんです本当に。そこがいいんです。
でも、この二人もただの美人レスリング姉妹ってわけではなくて。国内で力をつけてやがてナショナルアカデミーへゆくギータと、それに遅れて地元で泥臭く頑張るバビータでは、レスリングとの向き合い方、やがては性格すらも変わってくるんですね。その役割分担も見事。
ギータは都会を見てしまうので、色気付いて、もともとベリーショート(っていうか刈り上げ)だった髪を伸ばし始め、マニキュアをして、街で遊ぶようになります。そして、国内で負けなしなのをいいことに慢心し始め、国際大会で負けても大したショックも抱えないような性格になる。アカデミーで教えられる技術と守りの姿勢がプレースタイルを弱体化させてしまう。
一方妹のバビータは、お父さんと地元でドロドロになりながら頑張るわけです。いつかお姉ちゃんを追い越してやるぞと。技術は古臭く、お父さんの時代のものですが、ハートはいつのまにかお姉ちゃんを追い越している。
そしてこの姉妹があるところでぶつかり合ってギータを変えていくわけです。
この映画では、熱血お父さんと娘っていう家族の絆だけではなくて、姉妹がお互いの人生に影響を与えていくという形での家族の絆も描かれていましたね。そこは良かった。
さて。ここまでディテールというよりはビジュアル的なところをたくさん書いてきたんですが、個人的にグッときたのはここまでです。内容的には、ちょっと首を傾げたくなるような部分がこの映画多すぎました。簡潔に一挙に書いていきます。
お父さんの夢=娘の夢。これでいいのか?
まず基本的なところになってしまうのですが、娘二人が国際大会で金メダルを目指す理由というのがそもそもお父さん主導なんですね。お父さんが果たせなかった現役時代の夢を娘に押し付けて、「おいお前ら!今日からレスリングやるからな!」てなもんです。普通娘だったら「いや知らんし!」てなると思うし実際そうなります。大好きなお菓子取り上げられて、髪の毛はほぼ丸刈り。嫌じゃないわけありません。
そんな風にして始まったトレーニングですが、いつのまにか娘たちはガチです。ここがちょっと納得いきませんでした。いやいややっていたレスリングがいつのまにか娘たちの夢にもなっているって都合良すぎないか?そりゃあ本当にそうだったのかもしれないけどさあ。
ここは普通、
『いやいややってた娘たち。一度は反抗してやる気もなくなってしまいましたが、それぞれに自分達なりのレスリングをやる理由をみつけ、本気になりました。』
的なストーリーが欲しいところですよね。親から押し付けられたことを頑張らされている風にしか見えなくて全く入り込めませんでした。
さっき「家族の絆が〜」的なことを僕言ってましたけど、ぶっちゃけその「家族の絆」の部分が見えないというか。お父さんに洗脳されてるという見方になってしまった。。。
親に無理強いさせられる子供はかわいそうなもんですよ。これギータが「ピアノやりたい!」とかって言ってたらどうなってたろうな、、、?きっとマハヴィルはギータの頰をひっぱたいて「うるせえランニングだボケェ!!!」てなってますよ。ナシですナシ、そんな「家族の絆」。
あまりに結果主義すぎやしないかい?
お父さんはギータのどこまでも金メダルにこだわります。こだわりにこだわります。しかもその動機は先ほども言った通り、自分が取れなかったから。う〜ん。
で、いよいよやってきた決勝戦。緊張のギータ。そこでお父さんは声をかけてやります。さてなんて声をかけるでしょうか?
普通なら、「これまでの自分を信じなさい」的なあれですよね。「青春全部かけてもあいつにはかなわない?まつげ君、かけてから言いなさい」これは『ちはやふる』より原田先生のお言葉。それですよね。普通は、結果ではなくてまずは自分を信じること、やってきたことを、かけてきたことを信じろと。その上で、賭けて見なさい、というところ。
ところがこの時のマハヴィルは
「金だ金!絶対金!銀なんて絶対ダメだぞ!!!」
的なセリフを言ってしまいます。
(ごめんなさいこんな言い方じゃないしもっと優しめのいい感じの言い方だったはず)
しかし、そこでもマハヴィルは金に、一番にこだわります。これどうなんすか?こんなもん勝負の世界って?
確かに、負けてもいいなんて言って欲しいわけじゃない。けど。勝負の向こう側に、その人の佇まいとか、それまでの心境とか、戦う理由とか、成長とか、そう言ったものが見えるのがこういうスポーツ映画のいいところじゃないでしょうか。僕はそんな風に思ってましたけどね。
ギータは妹に奮起させられたことで不屈の精神を取り戻します。彼女の戦う理由はそこになるのです。でもそのことは決勝戦ではほとんどノータッチ。ただギータが強くなってる〜〜!!的なそんな感じです。彼女の不屈の精神がどっからきたのか、そういうところが見えなくて、ただ精神的に強くなってるだけ。
これではちょっとどうなんだろう?
そして実際にどうなったかは見てからのお楽しみなのですが(まあだいたいわかるよね)。でも結果がこうじゃなかったらこの話には意味がないのでしょうか?これまでの父と娘、家族の話は全くの無価値、ということになってしまうのかね?どうなんだね???
お父さんだのみのギータが頼りない。
国際大会に万感の思いで出場するギータ。「絶対優勝してやる!!」てなもんです。
そこへ口を出す監督。実はこいつが曲者でして、何かとギータのことでマハヴィルと対立していました。戦術も指導方針も真逆な二人。ギータの精神を信じて攻撃で行かせたいパパと、慎重な防御と進んだテクニックで守りの監督。両者の方針は真っ向から対立しますが、そこは「家族の絆」、ギータはパパの方を推します。
大会でもそれは一緒で、監督とパパが試合展開で毎回対立。その度にギータはパパの選択を信じます。そしてそれが功を奏して勝ち進んでいくのです。
しかし、、、基本的に困ったり迷ったらパパの方をキョロキョロするギータ。お前現役の選手なんだから自分のことは自分で決めろよ。これまでの経験とか勘とかあるでしょうよお。
それからパパも基本的に子離れできてなくてしゃしゃり過ぎ。子供がきになるのはわかるけど見守るということをしません。最後にはパパなしで勝負に挑むギータですけど、結局はパパが気になってしまう。
そんなんなので、あんまりギータの成長が見られないような気がします。最後には一人で戦っても、それが成長した証なのか、それとも必死でやってたら勝てちゃったのレベルなのか。どちらにせよ、「お父さんがいなくても戦うんだ!」ていう強い意志をもっと見たかった。
もうちょっと頼り甲斐があると良かったんだが。
急に出てきた(気がした)フェミニズム問題。
最後の決勝のシーン。娘を奮い立たせるためにマハヴィルは言います。
「お前が戦う相手はオーストラリア代表じゃない。女を下に見る男たちだ」(記憶の範疇ですが)
おや?そんな話だったっけ?
これまで父と娘が二人三脚で頑張る姿を描いてきたとばかり思っていたので、その話題に触れてくるのかとちょっとびっくりしてしまいました。しかも大して「女を下に見る男」って登場してこなかったような…。ちょっと混乱してしまいます。
確かに、物語の出発点は「男がすなるレスリングというものを女がしたっていいじゃないか」というところでした。そこにマハヴィルが気づいたことによって、「女と男の区別なんて関係ない!チャレンジしてみよう!」となったのは確かにありました。けど、それからの話にはあんまり出てこなかった要素だった気がして、なんだかなあ。ちょっとこじつけ感は否めないと思っちゃうんですよね。ここは単純に父と娘の熱い掛け合いを見せて欲しかったかも。
ラスト。蛇足でしょあの演出。
最後。
さっきも言ったように、決勝まで行ったギータ。で、お父さんが気になるんですけど会場にいない。どうしたかっていうと、「ある人物」による仕掛けで罰の場所に拘束(?)されちゃってたんですね。で、お父さんは会場でギータの試合を見れない、と。
でお父さんは会場に行きたいもんだから奮闘するんですけど、どうしようもなくなって諦めてしまう。(またここで「諦めちゃうんかい!」ていうツッコミをしたくなっちゃいますね。あきらめないのがマハヴィルの良いところでは?)
で、ギータの試合は始まっちゃうんですけど、拘束されているマハヴィルの悲壮感漂うカットが途中で挟まれるのですね。このカットいるか?と。気になって試合に集中できません。
しかも、決勝戦が終わった後、その仕掛けを仕掛けた奴(これが展開上悪者ということになるのだけど)は、なんの始末もないまま、なんなら誰が黒幕だったのかもマハヴィルには明らかにされないまま、お話は終わってしまいます。だったらその展開にした意味がなくないかい?と。観客は爽快感も得られず、まあ決勝の試合が大迫力だから爽快感はあるのだけど、どこか違うところにモヤモヤが残ってしまいます。ちょっと蛇足だったかな?と思います。
多分、最後の最後でお父さんとギータを切り離すことで逆に二人のつながりを再認識させる展開にしたかったのだと思うし、ギータの成長を見られる作りにしたかったのかもしれないのですが、どちらも上手く効果が出てないかな〜と。それはギータがずっとお父さんの方を気にしているから。
マハヴィルが決心して決勝の場から離れるという展開は…どうでしょうか?笑
最後に
という感じで、ちょっと言いたいことがいくつも残る展開になっていたのは残念です。ただ、レスリングの面白さ、爽快感、女性スポーツの面白さ力強さが見れる映画というのは確か!やはりレスリングシーンは迫力満点で見応えたっぷりです!!!
あとは、単純に複雑な伏線もなく見てて見やすい映画でもあります。展開もポンポン進んで飽きないし楽しいはず!そこのところは心配ないでしょう!!
とうことで、まあ色々考えなければ楽しく見られるでしょう!
以上!最後まで読んでいただいてありがとうございました!!!
45点
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